まとめると
インターネットオークションに出品されていた明治時代の「壬申(じんしん)戸籍」とみられる文書
法務省静岡地方法務局が14日に回収した。
出品された文書が壬申戸籍かどうかや出品の経緯などを詳しく調べる。
平成30年8月にも同様の事件がありました。
壬申戸籍
テレビ局から壬申戸籍の沿革について電話取材をしたいという話がありました。
しかし、上記の記事の時は、境界確定のてがかりとするために、屋敷番号・本籍・住所の関係や、戸籍と地券・旧土地台帳・登記簿の関係を調べていたので、身分について記載された沿革までは調べていませんでした。
そこで、残念ながら辞退したのですが、せっかくの機会なので調べてみました。
古代の戸籍
崇神天皇12(575)年
人民を校し調役を科する目的で設けられた。
改新の詔(646年?)
「初めて戸籍・計帳・班田収授法をつくれ」
庚午年籍(天智天皇9年)
良民の籍のほかに、皇親名籍、市人戸籍、雜戸名籍、僧尼名籍、官奴婢名籍などがあった。
家口の姓名・年齢、正丁次丁、正女次女、嫡庶、妻妾、叔姪寄人奴婢を明らかにした。
有位有職疾病を詳しく書き、課口不課口を明らかにし、兵役、工能、侍のこと、受田の数をあげ、班田をする基礎とした。
江戸時代の戸籍
島原の乱の後、耶蘇教禁止のため宗門改めがあり戸籍登録が大いに発達した。
種類
人別帳
氏名族籍年齢出入増減のみを記録
宗門改帳
戸内の男女の邪宗でない旨の僧侶の証明(寺請証文)を付する。
簡略法として宗門五人組帳もあった。
切支丹類族帳
切支丹宗門で転宗したものの子孫を記録する。
宗門人別改帳
人別帳に僧侶の証明をつけたもの。
領主、武士階級、町民、農民、僧侶、賤民等各別に族類に編成すること。
記載内容
統一的なものはなく、郡村の自治に任せられていたが、一般的には次の通り。
① 氏名・年齢
男は必ず名を書き、女は必ずしも書かない。
苗字は士分以上だけ書く。
年齢は何歳と書く。
② 戸主、父母、妻子、譜代の召仕、年期雇人
戸主は必ず押印する。
妻及び召仕等には実家を書く。
③ 田畝・末家
各戸が所有する田畝の石高、反別
各戸の末家数(何軒)、人数(小計何人、男何人、女何人)
④ 宗門
各戸宗門の寺院の名、証明の印
切支丹類族帳には、反切支丹・転切支丹の別、鉄砲所有者、出家山伏神主道心者の類はそのことを書く。
戦前の戸籍
京都戸籍仕法(明治2年)
政府直轄領(府県)に施行が命ぜられた。
① 市中戸籍仕法、郡中戸籍仕法、士籍法、卒籍法、社寺籍法のように族別に編成されていたといわれている。
② 1丁で1家分とする。
③ 1/4のところへ墨筋を引き
上)産業 所持の田畠 山林 船 牛馬 等を記す。
下)人名 宗門 等を記す。
壬申戸籍(明治4年)
全国府藩県に公布された。
① 族別に編成することを廃し、「官私の差別なく臣民一般番号を定め、其の住所を記すに都て『何番屋敷』と記し、編成の順序も其号数を以て」定める。
② 産業・田畠山林などの記載は不要となった。
ただ、「民産調の如きは一般の御布告あるべしと雖も此迄地方官にて戸籍中家産等書載させ来りしは其儘出すべし」とされ、実際上は、名主、庄屋、家抱、水呑などの身分の記載や、屋敷敷坪などは記載してはいるが、戸籍上は家格が記載されないことになった。
戸籍法(明治31年)・改正戸籍法(大正3年)
① 戸主・前戸主
② 家族の氏名・生年月日
③ 戸主の族称
④ 本籍地
⑤ 戸主家族の父母の氏名
⑥ 続柄
⑦ 戸主又は家族となった原因、年月日
戦後の戸籍
日本国憲法の施行に伴う民法の応急的措置に関する法律(昭和22年)
戸籍法(昭和22年)
壬申戸籍の非公開
昭和43年被差別部落民かどうかを探り出すためにこの戸籍が用いられようとした事件があり、同年3月29日民事局長通達により閲覧禁止となった。
元記事
「壬申戸籍」、法務省が回収=本物か鑑定へ 時事通信 2019年02月14日19時32分